写真

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イラク軍に向けて設置されていた汎用機関銃PKM
撮影----.--.--、掲載2010.4.1

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アンサール・イスラムの拠点跡・イラク北部
撮影2005.11.9、掲載2005.12.21

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スンニクルドとシーアアラブの間の双子・イラク
撮影2005.10.27、掲載2005.11.20

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またやられました・イラク-シリア国境
撮影2005.7.23、掲載2005.10.22

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穏やかな時代もあった・03年2月のバグダッド
撮影2003.2.25、掲載2005.7.9

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乗ってるシリーズ③おめえらも乗りすぎだべさ・アチェ州ピディ県
撮影2005.1.31、掲載2005.6.2

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乗ってるシリーズ②わしらもけっこう乗ってるぜ
撮影2005.1.31、掲載2005.5.26

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乗ってるシリーズ①乗せすぎですぜ・アチェ州ピディ県
撮影2005.1.31、掲載2005.5.21

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熱唱 中華料理屋はスナックでもあった・北アチェ県ロスマウェ
撮影2005.2.26、掲載2005.5.12

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インドネシア陸軍のテントの裏地にあるロゴって・・・バンダアチェ郊外ルプン
撮影2005.2.28、掲載2005.5.6

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インドネシア軍は津波があっても容赦しねえぜ・アチェ州ピディ県
撮影2005.1.31、掲載2005.4.29

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ジジとヨメとマゴ・北アチェ県スヌドン郡
撮影2005.2.26、掲載2005.4.21

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サッカーコートは仮設住宅地に バスケコートはサッカーコートに・北アチェ県ロスマウェ
撮影2005.2.26、掲載2005.4.17

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なかよしなのだ・北アチェ県ロスマウェ
撮影2005.2.26、掲載2005.4.15

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鳥居みたいだが建設中のモスク・北アチェ県ロスマウェ
撮影2005.2.26、掲載2005.4.5

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定員一名 「トコヤ!ワカル?」・北アチェ県ロスマウェ
撮影2005.2.26、掲載2005.3.30

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監視小屋 被災者キャンプを見下ろす高台に建設中の陸軍・ルプン
撮影2005.2.28、掲載2005.3.22

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被災者キャンプの子どもは食欲旺盛であった・北アチェ県
撮影2005.2.26、掲載2005.3.20

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アチェのネコはワキが甘い・ロスマウェ
撮影2005.2.24、掲載2005.3.17

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津波被災者エビ漁再開 養殖エビはほとんどが日本向け・北アチェ県
撮影2005.2.25、掲載

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夢中・北アチェ県の津波被災者キャンプ
撮影2005.2.27、掲載2005.3.11

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恐怖のお化け屋敷・戦前のバグダッド
撮影2003.2.19、掲載2005.3.8

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田んぼの中の喫茶店・バンダアチェ
撮影2005.2.28、掲載2005.3.5

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たくましいよねえ・北アチェ県の津波被災者キャンプ
撮影2005.2.27、掲載2005.3.2

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学校再開 600人中200人しか戻らず・ロンガ
撮影2005.1.26、掲載2005.2.18

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インドネシア陸軍兵士だって腹は減る・ルプン
撮影2005.1.26、掲載2005.2.16

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アチェのヤギはうまかった・ビルンあたり
撮影2005.1.30、掲載2005.2.14

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あとは飛び込むだけ・バンダアチェ
撮影2005.1.26、掲載2005.2.10

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みんながこうして元気ならばよいのだけど・バンダアチェ
撮影2005,1.26、掲載2005.2.7

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瓦礫の中にはまだ行方不明者がいる・バンダアチェ
撮影2005.1.25、掲載2005.2.5

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対アチェ最強硬派インドネシア陸軍参謀長リャミザード・リャクドゥ
撮影2005.1.26、掲載2005.2.3

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イラク戦争前のバグダッド・遊園地のオクトパス
撮影2003.2.19、掲載2005.1.22
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ここはバグダッド、アル・アブ遊園地のお化け屋敷。90年の湾岸危機以降、経済制裁でメンテナンスもできず、本物のお化け屋敷のようになった。

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こんなふうに乗り物に乗る。柳のようなものが見えてなんだか和風だが、これはきっとナツメヤシかな。

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覚悟はできておるのか?ん?

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真っ暗な通路の先に見えてきたのは・・・!

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ガガガガ、、、ガイコツ!

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こんなんもいるし!

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きゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

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このだんなは正統派って感じですな

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恐怖のクライマックス・・・は行ってみてのお楽しみ。中は真っ暗で、乗り物はゆっくりだが急カーブなのでスリルはけっこうあるのだ。米国のイラク占領後、2004年に入ると遊園地は再開されたが、3月の段階ではお化け屋敷は閉鎖されたままだった。
表紙でも紹介した3番目のお化けだが、これはお化けなのだろうか。裸にされ、貼り付けにされて血の涙を流しているかのように見えるこの人形は、アブグレイブ刑務所における米軍のイラク人虐待・拷問を連想させる。しかし、この写真はイラク戦争前のものだ。同刑務所をはじめ、イラク国内ではサダム政権時代から政治犯らへの拷問・処刑が行われていたとされる。ほんの一瞬だけ姿を見せるこの人形は、暗闇の中で国家による暴虐を告発し続けていたのか、などと考えるのは今のところ私の空想である。サダム政権が崩壊しても、状況は明らかに悪化している。これは現実。
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ゴンドラの上から。遠くに見える桃様のモニュメントはイランイラク戦争祈念碑。80年代、日本企業が建設。

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池のボートから。ゴンドラ、観覧車などが見える。

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カップが上下しながら高速回転する。

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高速回転中でもカメラを向けると喜んでくれる。

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ジェットコースターは壊れそうで怖かった。

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ラクダには乗れない。

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夕暮れのバグダッド。

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小さな観覧車。向こうにはネオンのついた大きな観覧車。

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これが入り口。バグダッドのアル・アブ遊園地。
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戦前のアル・アブ遊園地は家族連れでにぎわっていた。このお父さんはバスラに単身赴任中。たまの休暇でバグダッドに帰ると家族と遊園地に来ていた。
バスラでは2003年3月のイラク戦争開戦前から空爆が行われており、日に何度かは空襲警報がなった。お父さんは、超低空飛行してきた米軍機が巻き上げた小石が手首に当たって怪我をしたという。当然、空爆によって殺された民間人も多数いた。

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一家で楽しめる数少ない娯楽施設だった。

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一見あまり裕福そうでない家族もよく見かけた。この家族は乗り物には乗らず、観覧車の前に座っていた。とにかく陽気なお父さんだった。
遊園地の入場料は一人150イラク・ディナール(ID)。当時、1ドル=約2500ID、一家の平均収入が10ドルほどと言われれいた。
乗り物ごとに払うシステムなので、裕福でなくても入場だけしてピクニック気分を楽しむこともできた。乗り物はそれぞれ一人150-250IDほど。

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そうはいっても基本的にはみるからに裕福そうな家庭の人が多い。多くの若者たちがデートを楽しんでいた。

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野郎どうしじゃやっぱりアホっぽくなってしまうよね。愛すべきイラク青年よ。

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日本人といっしょに記念撮影どう?と言って荒稼ぎしたカメラマンおやじはホクホク顔で最後までついてきた。

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観覧車。若者は元気だ。立っちゃ危ないよ。

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デートの若者だらけ。つくりものかと思うほどの美女も。

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世俗国家イラクではこれくらいはできた。

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お父ちゃんそっくりのムスタファくん。お父ちゃんも息子がかわいくってしょうがないらしい。

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午後7時すぎ。明々と電気がともり、まだまだ賑わいは続く。

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治安のよかった戦前のバグダッドでは夜遅くまで子どもづれが街に出ていた。アル・アブ遊園地も午後9時まで営業していた。
サダム政権崩壊直後に知り合ったイラク人は、「まもなく戦争が始まるというころに、家族をつれて遊びに行った。穏やかなうちに家族で楽しみたかったから」と話していた。

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遊園地スタッフのおやじととお菓子売りの青年。素朴でいいひとびとだった。
この日から約一ヵ月後、イラク戦争は開戦した。

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約一年後に訪ねた遊園地は閑散としていた。バグダッド市内も治安が悪く、遊園地まで来るのも大変だし、駐車場の車が盗まれる恐れもある。米国占領後のイラクは警察力を失った。夜は電気が十分でないうえ、いっそう治安が悪化するので夕方には閉園する。

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表紙写真の第一号で紹介した、あの激しかったオクトパスも見る影もない。ほとんどのアトラクションが休止状態だった。

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唯一動いていたのはメリーゴーランド。懐かしい家族連れの笑顔が見られたのはここだけ。

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観覧車も休止状態。池の向こうにあるイランイラク戦争記念碑周辺が米軍基地になっており、高く上がる乗り物は基地が見える恐れがあるので使用させていないらしい。米軍基地は当然撮影禁止だが、恥ずかしながら警備が厳しくて隠し撮りもできなかった。
家族連れやカップルや人のいい従業員やしょうもない野郎どもはいまごろどうしているのだろう。

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クルド人地域のドホークは戦闘もなく、穏やかだった。クルド人地域はサダム時代は自治政府が統治し、上空は米英国が対イラク飛行禁止空域を設定して「守って」いた。経済制裁の影響もなく、バグダッドなどと比べても物もあふれていた。
南数十キロにあるイラク第三の都市モスルからは、米兵がバカンスにやってきていた。モスルではサダムの長男ウダイ、次男クサイが米軍に殺害され、その後も激しい戦闘が続いていたが、ドホークは穏やかだったので米兵は丸腰でショッピングを楽しんでいた。

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10代後半から20代前半にしかみえないあどけない顔をした若者たちが、つかの間の息抜きをしている。せっかくの休みなのに武器屋でナイフを物色していた。女性兵士の姿も。

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軍服などを取り揃えているミリタリーショップにも米兵たちがいた。チャイを飲みながらクルド人定員と談笑していた。丸腰の彼らを守っているのは武装したクルド民主党(KDP)の民兵。
ちなみに、2005年、イラク移行政府の大統領になったジャラル・タラバニ氏はKDPから離脱して設立したクルド愛国同盟(PUK)の代表。

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数ヶ月に一回、一週間ほどの休暇がもらえるという。夜遅くまで丸腰で出歩き、プールバーでビリヤードを楽しむなどしていた。「モスルは騒がしいからな。ここは安心だ」とすっかりリラックスした様子。街中にいるイラク駐留米兵のこれほど無防備で気さくな姿を見たのは、2003年4月のサダム政権崩壊直後くらいだ。

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そんなわけで、遊園地も夜遅くまでやっている。クルド人地域は電気も安定して供給されている。バグダッドではこんな時間まで遊園地は開いていないし、出歩ける地域も限られていた。

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暗くなってからも家族連れがやってきて遊んでいた。バグダッドから同行したイラク人の友人は「家族を連れて来ればよかった。バグダッドではこんなふうに安心して家族でのんびりできる場所はないから」とさびしそうに言った。

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おおおおおぉぉぉ!と米兵もおおはしゃぎ。お互いにカートをぶつけ合ってはしゃいでいた。米兵だって普通の若者なのだ。戦争でなければ。

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バカンス中の米兵に緊張が走った。せっかくの休みなのにやっぱり銃を持ってしまうのは兵士の性なのか?

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画面をよく見ると日本語が書いてある。日本のゲームセンターからのお下がりのようだ。ゲーム名「CONFIDENTIAL MISSION(マル秘大作戦)」。「テロとの戦争」にまい進する国の兵士としてはこんなミッションを出されたらおとなしくはしておれまい。
モスルは2004年12月に米軍基地が爆破されたほか、2005年3月にはシーア派の葬儀中に爆破事件が起きるなど、イラクでも特に激しい地域の一つ。
ドホーク(Dahuk) と モスル(Mosul) の位置関係はこちら