著書
ルポ 戦場出稼ぎ労働者(2010年・集英社新書 756円)

現代の戦争は「民営化」が進み、給食や洗濯、清掃、売店やフィットネスジムの運営、施設管理、車両や船舶の整備、輸送、要人警護、容疑者尋問など、戦闘部門以外のあらゆる分野が民間企業に委託されている。その末端の労働を担っているのはアジアやアフリカから集まった出稼ぎ労働者だ。

彼らはどのように集められ、どのような仕事をどういった状況の中で行っているのか。そもそもどのような事情があって戦場へ向かうのか。本書は、自ら戦場イラクで働く労働者となり、そうした出稼ぎ労働者の実態を観察したルポルタージュである。

第1章
イラク戦場労働への道(イラク行き急募 クウェート就労ビザが必要? ほか)
第2章
戦場労働の心得(拘束の三年間 バグダッド空港・基地 ほか)
第3章
戦場の料理人(激戦地ディワニヤ 居住区の衛生管理 ほか)
第4章
戦火の中で(奴隷労働 銃を突きつけられる ほか)
第5章
戦場で働くということ(戦争は「安い命」で 戦争の民営化と戦場労働 ほか)

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囚われのイラク-混迷の戦後復興(2004年・現代人文社 1500円)

2004年4月、イラク・バグダッド西方のアブグレイブで囚われた! 拘束までの経緯、当時の情勢、地域の子どもやおじさんたちと星を眺め、語り合い、米軍に拷問・虐待された怒りをぶつけられた、“テロリスト”と呼ばれる人々との三日間の様子を詳述した。

もともと地方紙の記者をしていた私は、休暇をとってアフガニスタンやイラクを取材していたが、上司と折り合わなくなり退社。開戦前のイラクに飛んだ。なぜ戦争取材のために新聞記者をやめたのか、イラク取材の原点を振り返った。

そして戦火のイラク。爆撃にさらされる市民たちを紹介した。フセイン政権時代から政権崩壊、「戦後」を経て彼らの立場はどう変わっていったのか。同じ人物を何度も訪ねて探る。米軍に殺されたイラク市民の遺体を前に喜ぶ男性のその後の運命は・・・?

私はイラクで地元住民に一時囚われたが、本当に囚われているのは占領下にあるイラクだった-という意味でこの題名。すでに出版が決まっていたこの本をまとめるための最後の取材をしていたところでつかまった。で、拘束分を最初にいれたら分量が多すぎてもともとの原稿を半分くらい削除。残りは二冊目に。

ちなみにリンク先のアマゾンの投書で「政府の責任にするな」といった書き込みがあるが、拘束されたことについて私自身が「政府の責任」などと言ったことは一度もないし、本書の中でもいっさい触れいない。まったく読んでない人の「書評」であることは間違いない。

また、「盾として入って外務省に迷惑をかけた」とあるが、外務省の勧告に従わないという点ではジャーナリストビザでも「盾」ビザでも同じで、「盾」ビザであることを問題視する考え方も意味不明。「盾」とはビザの種類で、しかも取材の手段であって「盾として」という表現も意味不明。そうした意見を持つことは自由だが、事実にそぐわない表現があること、このサイトが言いっぱなしの仕組みであることから、この場で反論させていただく。

私は人質ではなかった、という話から。私を拘束した地元住民たちは、日本政府その他誰に対しても、いっさい要求を出していない。従って人質ではないのだが、「人質」と報道したことによって事実の検証がされなかった。さらに、本人の責任か政府の責任か、の二元論に陥らせ、どちらにも存在する原因の検証を怠らせた「自己責任論」という造語の問題点を指摘。そのほか、「テロリスト」などメディアの中で定番となっている言葉がもたらす思考停止状態を検証するなどしているのが第一章。

以降は戦前に戻る。「人間の盾」になって戦争を止めようと世界中から集まった市民の様子や、「盾」を切り崩そうと躍起になる日本外務省職員、開戦を前に次々と撤退していく日本大手メディア、戦火に備えるイラク市民の姿を紹介。クライマックスである、米軍のバグダッド侵攻からフセイン政権崩壊までを、「盾」日本人たちの会話をもとに再現した。

二章以降は、開戦前から政権崩壊までのイラク戦争を時系列で追ったドキュメント。メディアで日々流される言葉によってつくられた“虚構”を打ち破る最大の武器は、現場を踏むことだ、ということを全体のコンセプトとしている。ひたすらイラク人を登場させた「囚われのイラク」に対し、戦争の現場にいた外国人の姿を描いたのがこちらの本で、二冊は対になっている。従って内容のダブリはいっさいなし。全体的に、現場の人間の言葉を台本のようにそのまま記録してある。

「盾」を主催したのはフセイン政権。参加者は全員個人登録。「盾」ビザの人間は浄水場などに滞在、ジャーナリストビザの人間はパレスチナホテルに滞在、というきまりで、要するに「盾」とはビザの種類のこと。私は入国の手段として偽造「盾」ビザを持っていたが、イラク軍につかまって浄水場に放り込まれたのだった。同じ場所にいながら「ジャーナリストビザの人はよい」、「盾ビザの人は迷惑」という意味不明の分類をしているみなさまに、現場でそれぞれが何をしていたのかをまず知ってもらいたい。

共著
日本の論点2005(2004年・文芸春秋 2667円)

共著というか、えらい大人数で今の日本の問題をいろんな分野で論じた定番の本で、うち、「報道と人権」という章に「戦争報道をどう読むか」というテーマで参加した。ここでも「自己責任論」とか「イラク復興支援特別措置法」といったメディアの中で繰り返し流されている言葉がいかに事実認識を阻害しているか、というような話を中心に書いてみた。

4冊シリーズの第3巻。佐野眞一さん責任編集で、佐野さんの総論と、19人による各論で構成している。『「自己責任論」の本質 イラク人質事件の当事者となって』という項を書いた。日本人三人の「人質事件」が起きたからこそ私の拘束も「事件」になったという点で、人質ではないが「人質事件の当事者」とはいえるかもしれない。

ジャーナリストを目指す人やメディアに関心のある人が対象ということで、拘束にいたるまでの現地情勢と私自身の判断・行動など拘束の顛末を具体的に書くことで、実際にはどういった準備・行動が必要だったのかを検証できるようにした。また、「自己責任論」と「国益」「報道」の狭間にたった大手メディアの反応と、私自身の記者としてのモチベーションの持ち方にも触れた。そのほか、第一線で活躍する記者たちの権力と対峙してきた現場のレポートは必見。

ネット上で読める連載
緊急手記「拘束の三日間」(2004年4月23日-5月2日・東京新聞)

※2010年現在はリンク切れです。

2004年4月のイラクでの拘束後、帰国してすぐ東京新聞に書いた連載。もともと新聞記者だったので新聞の連載スタイルには慣れており、コンパクトに要点のみを臨場感たっぷりに描けたので非常に楽しい仕事だった。拘束中は写真を撮れないので、デスクの提案で絵を描いた。写真がないと仕事にならんという人もいるが、例えば部屋の間取りなどは図でかくしかないのだし、やりようはある。ただ、拘束した自警団連中の安全のため、部屋の間取りや内装など拘束場所が特定できそうな表現・描写は避けた。やろうと思えば、拘束されている場所の地図も一ヶ所くらいは書けたが。

待ったなし 北アし尿処理(1999年7月20日-2000年6月22日・信濃毎日新聞)

新聞記者時代に参加した連載。記者3人、デスク1人で担当し、私は全44回のうち約半分を書いた。よく読むと文章の特徴に違いがあるので見分けてみてほしい。

北アルプスの数十件の山小屋にし尿をどう処理しているかアンケートしたところ、ほぼすべてが穴に埋めるかガレ場に流すかしていた。現場で何が問題なのか、厳しい気象・地形・経済状況の中にある山小屋側の事情、し尿生産者である登山者側の認識、入り乱れる役所の縄張りと縦割り行政、開発の進む新処理技術などを紹介する中で、これからどう山と向き合っていくべきかを探った。山小屋のみなさんをはじめ、大変に勉強させていただいた。

連載中に当時の環境庁が、処理施設導入のための山小屋への補助金制度をつくった。山小屋は民間企業であるにもかかわらず、その公共性を認めて補助金を出すという、前代未聞の画期的制度。異例の12月補正での決定で、同新聞社で主催したシンポジウムで環境庁職員が発表した。この問題は長年の懸案だったが、制度新設はどう考えでも連載の成果、と内輪では自負している。

その後、同新聞社編として本になったのが北アルプストイレ事情(2002年・みすず書房 1890円)

その他

雑誌掲載したものは思いついたときに随時紹介していきます。